2005年6月25日
この日は夜、mixi宮城野区コミュのオフ会でした。はやて3号で仙台入り後、まず、仙石線に乗って、陸前原ノ町に出ました。要するに、廃線跡歩きです。
駅南に出て苦竹方、相変わらず目立つのはPivotだけ、ホーム跡には手がついてません。
昨年度まで原町小学校の仮校舎があった、宮城野区役所横のエリアですが、めでたく新校舎が完成、引き揚げられたようです。
陸前原ノ町駅舎。
宮城野町・鹿島通り踏切付近、去年11月よりも更に工事が進み、左側歩道部分もほぼ完成してます。
鹿島通り踏切付近は緑化が進んでます。
下山通り踏切だけは気合入れて撮ってしまうのはなぜなんでしょうか?
宮城野原駅跡。手が入ることなく草ボーボーです。
宮城野踏切付近。
荒浜通り踏切の宮城野原方は相変わらず駐車場です。
榴ヶ岡方は手がついてません。
荒浜通り踏切跡のところにJRバスの降車専用バス停が出来ていました。フルスタ前にしては遠すぎませんかね?
個人専用、第2悪水上踏切跡。こちらは雑草というより、綺麗に花が咲いてる?
榴ヶ岡駅跡は歩道がまっすぐになりました。でも完成形には見えません。
NAViS裏はほぼ完成形ですね。
榴岡天満宮前の東十番丁踏切跡、道は残されてるものの横に家が建ってます。
もともと踏切がなかったところ。目の前の大きいマンションが線路跡です。
その反対側。榴ヶ岡方向。
東九番町踏切。警手詰め所跡はお蕎麦屋さんになりました。
11時半の開店を待って、いつもの東七番丁店で昼食をいただきました。先月から塩・味噌ハーフになった利久ですが、味噌もいいんじゃないすかね。
昼食後向かった先は国府多賀城。北口に下ります。
こんな小道を通って、あやめまつり会場に向かいます。
会場はあやめ園。ここが入口です。
舞台で地元の皆さんが踊ってたり、
テントでお花を売ってたり、
芝生で市民の皆さんがくつろいでたり、所謂ひとつの普通のお祭りなんですが、
少し歩いて、丘の上に登って、多賀城の南門だそうです。この丘自体に城跡はないのに「南門?」って感じです。
多賀城碑。立派な建物で保護されてます。
南門を上がり、多賀城碑の前を過ぎて丘を下って道路を渡ると、「史跡多賀城跡」の入口になります。
左の入口から少し進んで振り返ったところ。道路を挟んだ向こうが南門のある丘です。
更に進んで右に少し曲がると、こんな感じ。
左上の写真で見て、もう少し右に進んでから、やっと政庁跡に登る・・・これ、階段っていうの?
見下ろすとこんな感じ。
登り切った所。「石敷広場跡」とあります。
ここが、多賀城の、跡です。地元ボランティアの方がいらっしゃいましたが、今思えば、何も話を伺わなかったことを公開しています。
まだまだ、発掘調査中の箇所もあります。
東北本線挟んで反対側、東北歴史博物館に向かいます。
国府多賀城駅南口。
東北歴史博物館、去年も6月、少し前の時期に来ましたが、閉館間際で余りゆっくり見られませんでした。今回はじっくり。さっき見てきた多賀城址の価値も存分に分かりました。
続いて、お隣、今野家住宅を見学します。ただの農家と侮るなかれ、ネタ満載とはつゆ知らず。。
冠木門。この門構えが、村における権威を象徴しています。
入るとまず、土間があります。説明のボランティアさんが常駐しているので、火がともってます。
こちらが「オカミ」です。お客様用のいろりがあります。
オカミの鈎針は松・竹・梅を意識したしゃれた作りなのに対して、
土間の鈎針は簡素なものです。
戸が滑りやすいように、竹で出来た小物を挟んであります。
ご飯を炊くお釜です。
餅をつくのではありません。ここで米をこねるのだそうです。
煙突のような穴が開いてます。この家は桃生郡河北町からの移築で、そんなに雪が降るところでないから軒も短めなのだそうです。
お風呂だそうです。
隣に井戸があります。
ここで汲んだ水が
風呂桶へと流れ、沸かされます。
便所です。大きい方専用です。小さい方は、風呂の横(上の写真で右側)の、杉の葉が積んである所でするそうです。
左、お客さま用。右、家族用。
くぐり戸。ひし形をしていますが、これは、自動的に閉まるように、というのと、その閉まった音で呼び鈴代わりになるように、とのことです。
中門の馬小屋の中。馬が蹴っても壊れないように、板が厚く盛られてます。
今野家住宅を離れ、国府多賀城駅からも更に離れ、多賀城廃寺へと向かいます。
4〜5分程度歩いて、着きました。
仙石線多賀城駅まで歩きました。で。ここって、文化センターや市役所を案内する看板にいちいち「〜をご案内いたします」って書いてあるんですよね。何か面白い。
こうしてみると、何もないようで、色々ある多賀城。侮れません。
夜はmixi宮城野区コミュのオフ会。国分町で深夜まで飲みました。皆様お世話になりました。